ドメーヌ・ポンソは、1872年に、ウイリアム・ポンソ氏が、モン・リュイザンやクロ・ド・ラ・ロッシュ等の畑と館を購入したことを起源とし、後継者ののいなかった初代ウイリアム氏のあとを従兄弟のイッポリィト・ポンソ氏が1920年より2代目を引き継ぎ、クロ・ド・ラ・ロッシュの畑を買い足し、また、1932年よりドメーヌでの瓶詰を始め、ドメーヌを発展させました。
イッポリィト氏は、弁護士であり、第一次世界大戦の大尉を務めた人物であり、また、1935から1936年にかけてのブルゴーニュにおけるブドウ畑のAOC格付けを制定したブルゴーニュ委員会の一人でした。
イッポリィト氏の息子のジャン・マリー・ポンソ氏が1947年より栽培とワイン造りに参画し、父イッポリィト氏が1957年に引退するまでと共に働きました。
3代目のジャン・マリー氏は、長年モレ・サン・ドニ村の村長を務め、シュヴァリエ・ド・タスト・ヴァンの評議委員でもあり、また、1960年代に始まったブルゴーニュのピノ・ノワールのクローン・セレクションの開拓者です。
最も評判のよい多くのピノ・ノワール(113,114,115,667等)は、ドメーヌ・ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュのブドウ木から選ばれており、その源の母木(元木)は今日もなお植わっています。
1981年からは、国立商科大学を卒業し旅行代理店を経営していた息子のローラン・ポンソ氏が帰郷し、家族のドメーヌに加わり、ドメーヌの新しい経営組織を設立し、1983年からワインつくりを担当し、現在、ローラン氏が4代目当主を務めています。
約11haの畑を所有し、その半分以上の5.7haがグラン・クリュという、その所有する畑の品質は群を抜き、そしてクロ・ド・ラ・ロシュで50年強、クロ・サン・ドニは90年を数え、他の畑も平均で30年以上と、非常に高い樹齢のブドウ木を保有しています。
更に、加えてグラン・クリュでも18年未満のブドウ樹からの果実はデクラッセ(declasse=階級脱落)し、プルミエ・クリュとしてリリースするという徹底した選別を実施し、また、収穫量に関してもシャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロシュ等グラン・クリュの上限は通常35hl/haのところ、ドメーヌ・ポンソにおいてはリミットまで目一杯収穫する等ということはありえず、平均で2/3から半分、少ないときには1ケタ台ということもしばしばです。
更に、酸化防止剤として用いられるSO2は他のドメーヌで使用する量の1/3分から1/5極力抑え、また多くのつくり手がグラン・クリュほど高い割合であてがう新樽もポンソでは一切用いない点も特徴的です。
ドメーヌ・ポンソのワインは以前から高い評価を得ていましたが、現当主ローラン氏の代になってからSO2の使用を抑え、新樽の使用もなくなり、よりシルキーさを増し、テロワール毎の特徴を如実に体現する艶やかでピノ・ノワールの精髄といった要素が加わり、更に評価も高まっています。
比較的、赤ワインでその名を知られたドメーヌですが、1種類だけ白「モレ・サン・ドニのプルミエ・クリュ・クロ・デ・モン・リュイザン」を造っており、用いるブドウはほとんどがアリゴテでありながら、一般的なブルゴーニュ・アリゴテ等とは似ても似つかぬ全く別種の白といった風味の、ドメーヌ・ポンソならではのならではの味わいといわれます。
なお、1999年ヴィンテージから搭載している熱感知シールも、ドメーヌのワインに対する真摯な姿勢を示す取り組みの表れとして受け入れられています。
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