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ブルゴーニュワインを堪能

ブルゴーニュワインを堪能していただくためのブルゴーニュワインの知識サイトです

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2026/06/18(Thu)21:50

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ドメーヌ・ポンソ

2008/06/23(Mon)12:03

ドメーヌ・ポンソは、1872年に、ウイリアム・ポンソ氏が、モン・リュイザンやクロ・ド・ラ・ロッシュ等の畑と館を購入したことを起源とし、後継者ののいなかった初代ウイリアム氏のあとを従兄弟のイッポリィト・ポンソ氏が1920年より2代目を引き継ぎ、クロ・ド・ラ・ロッシュの畑を買い足し、また、1932年よりドメーヌでの瓶詰を始め、ドメーヌを発展させました。

イッポリィト氏は、弁護士であり、第一次世界大戦の大尉を務めた人物であり、また、1935から1936年にかけてのブルゴーニュにおけるブドウ畑のAOC格付けを制定したブルゴーニュ委員会の一人でした。

イッポリィト氏の息子のジャン・マリー・ポンソ氏が1947年より栽培とワイン造りに参画し、父イッポリィト氏が1957年に引退するまでと共に働きました。
3代目のジャン・マリー氏は、長年モレ・サン・ドニ村の村長を務め、シュヴァリエ・ド・タスト・ヴァンの評議委員でもあり、また、1960年代に始まったブルゴーニュのピノ・ノワールのクローン・セレクションの開拓者です。

最も評判のよい多くのピノ・ノワール(113,114,115,667等)は、ドメーヌ・ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュのブドウ木から選ばれており、その源の母木(元木)は今日もなお植わっています。

 1981年からは、国立商科大学を卒業し旅行代理店を経営していた息子のローラン・ポンソ氏が帰郷し、家族のドメーヌに加わり、ドメーヌの新しい経営組織を設立し、1983年からワインつくりを担当し、現在、ローラン氏が4代目当主を務めています。

約11haの畑を所有し、その半分以上の5.7haがグラン・クリュという、その所有する畑の品質は群を抜き、そしてクロ・ド・ラ・ロシュで50年強、クロ・サン・ドニは90年を数え、他の畑も平均で30年以上と、非常に高い樹齢のブドウ木を保有しています。

更に、加えてグラン・クリュでも18年未満のブドウ樹からの果実はデクラッセ(declasse=階級脱落)し、プルミエ・クリュとしてリリースするという徹底した選別を実施し、また、収穫量に関してもシャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロシュ等グラン・クリュの上限は通常35hl/haのところ、ドメーヌ・ポンソにおいてはリミットまで目一杯収穫する等ということはありえず、平均で2/3から半分、少ないときには1ケタ台ということもしばしばです。

更に、酸化防止剤として用いられるSO2は他のドメーヌで使用する量の1/3分から1/5極力抑え、また多くのつくり手がグラン・クリュほど高い割合であてがう新樽もポンソでは一切用いない点も特徴的です。

ドメーヌ・ポンソのワインは以前から高い評価を得ていましたが、現当主ローラン氏の代になってからSO2の使用を抑え、新樽の使用もなくなり、よりシルキーさを増し、テロワール毎の特徴を如実に体現する艶やかでピノ・ノワールの精髄といった要素が加わり、更に評価も高まっています。

比較的、赤ワインでその名を知られたドメーヌですが、1種類だけ白「モレ・サン・ドニのプルミエ・クリュ・クロ・デ・モン・リュイザン」を造っており、用いるブドウはほとんどがアリゴテでありながら、一般的なブルゴーニュ・アリゴテ等とは似ても似つかぬ全く別種の白といった風味の、ドメーヌ・ポンソならではのならではの味わいといわれます。

なお、1999年ヴィンテージから搭載している熱感知シールも、ドメーヌのワインに対する真摯な姿勢を示す取り組みの表れとして受け入れられています。
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フィリップ・パカレ

2008/06/21(Sat)22:03

フィリップ・パカレ氏は、CH.レイ、ドメーヌ・ルロワで研修を積んだ後、ブルゴ-ニュファンならば知らぬ人のいない、「ドメーヌ・プリューレ・ロック」の醸造長を長年務め、2000年プリューレ・ロックを辞し独立し、2001年ドメーヌ創立し、その初ヴィンテージの2001年が大旋風を巻き起こしました。

また、彼はモルゴンのみならずボジョレーワインの評価を高めることに大変な貢献をしてきたマルセル・ラピエール氏の甥であり、更に、ラピエールを中心とする「自然派」(アペラシオンを越えたフランス全土における)を形成することとなった基=師でもあるジュール・ショヴェ氏の最後の弟子で、かつ6年間もの期間を師と寝食を共にした唯一の人物としも知られます。

ブルゴーニュワインの多くは単一品種で構成され、その味わいを造っているものは、ブドウではなくテロワールなのであるから、これを最も大切にしなくてはいけないし、土壌、ブドウ、天候、そして人間があり、このどれ一つとして欠けてもワイン造りは不可能なのです。

また、人間はオーケストラでいうところの指揮者であり、ブドウがより良く育つために導いてあげるだけのことで、ワインは工業製品ではないから、技術を駆使して手を加えてしまうと本当のテロワ-ルを表現することはできません。

有機肥料であっても、ただ加えれば良いとは思わないし、それはブドウ樹の育成期である3~6月を過ぎて熟成期に入っても樹が成長してしまい、その結果として未熟な果実ができてしまうからです。(フィリップ・パカレ氏)

 5年間の思案の上独立し、2001年が初ヴィンテージとなりますが、ドメーヌ・プリューレ・ロック時代に営農指導していた人達の畑のブドウや、妻の実家の畑から採れたブドウでワインを造りました。

もちろん全てのブドウは有機栽培され、これらのブドウは、40hl分のお金を支払い30hl分だけしか栽培しない(青刈りしてあるので敢えて収穫とは述べない)契約を栽培家と交わしています。

なお、2001年のワインは補糖さえ(もちろん補酸も)しないで造られ、 また、2002年からは畑造りも彼自身が行っています。

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ドメーヌ・ポチネ・アンポー

2008/06/20(Fri)19:37

名門アンポー家のひとつであるドメーヌ・ポチネ・アンポーは、ムルソー村の丘を上った高台に位置し、かつては、ムルソーよりも高い評価を得ていたモンテリ村にたたずんでいます。

ムルソーを中心に、ヴォルネイ、オーセイ、モンテリ、ピュリニー、ポマールなど6つの村に8haの畑を所有)し、古典的ブルゴーニュを造り続け、1980年代後半以降の技術革新ブームで、ニュースタイル派の後塵を押すかのような 評価を受け続けていました。

しかし、近年、テロワールを尊重する造り手が古典的醸造スタイルに回帰している事でもわかる通り、 ブルゴーニュのテロワールを存分に発揮し、熟成して真価を発揮する≪クラシック・ブルゴーニュのお手本≫とも言うべきワインを 造り続けているドメーヌです。

世界的な風潮に流されることのないドメーヌ・ポチネ・アンポーの醸造哲学は、再び古典派にスポットが当たり始めた今でも、 浮かれることも無く、動じることもありません。

1937年、第二次世界大戦中に15歳から当主を務め、引退まで ≪59ヴィンテージ≫ものを造り続けた、 ブルゴーニュきっての名伯楽ポチネ氏のワインつくりは、非常にエレガントでクラシックな造りで、全て手摘み収穫し、樽はエレガンスのアリエ産のみ用いて、新樽使用は平均30%です。

2003年より、最新の技術を学びつつも、古典派を志向する20歳の息子ヴァンサン氏がドメーヌに入り、体制は一層盤石と なりました。

美しい酸を持ちつづけるポチネ・アンポー氏の古酒は、「古えの ブルゴーニュ人やパリの貴族達が味わっていた本物の古酒」と高く評価されています。

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メゾン・デュジャック・フィス・エ・ペール

2008/06/17(Tue)17:39

モレ・サン・ドニにあるドメーヌ・デュジャックの創立者であり当主のジャック・セイス氏の長男ジェレミー・セイス氏が、ドメーヌ・デュジャックが運営する生産者と農家との緊密で長い関係に基づいてスタートさせた新しいスタイルのネゴシアンです。

1975年生まれのジェレミー氏は、イギリスのパブリック・スクールからオックスフォードに進み、卒業後は、父ジャックのドメーヌ・デュジャックに参加しました。
ジャック氏が絶大な信頼を寄せていたスタッフのクリストフ・モランが二輪事故により42歳の若さで不慮の死をむかえたあと、クリストフに代わりジェレミー氏が栽培面を担っています。

現在は、ドメーヌ・デュジャックの白ワインの担当以外にも、ドメーヌ・デュジャックが1990年からDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)の経営者としても知られるブズロン村のヴィレーヌ氏と共同で手がける南フランスのワイン「トリエンヌ」の醸造・販売をも行っています。

更に、英国のセンズベリー科学技術大臣がブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村に購入した畑を、ジェレミー・セイス氏が畑仕事と醸造を手がける予定で、2年後には高品質なワインの誕生が話題になっています。

ネゴシアン・ワインのアイディアは父ジャック氏と共に1998年から計画を進め、2000ヴィンテージが初ヴィンテージとなっています。

 3軒の栽培農家とは1ha当たり幾らという形で契約し、ヴァンダンジュ・ベルト(徐梗・摘房)やテーブル・ソーティング(選果台での選別)、醸造にいたるまで全て自分たちの手で徹底して行っています。

生産量としては、シャンボール・ミュジニィで250ケース、モレ・サン・ドニ350ケース、ジュヴレ・シャンベルタンは800ケースと、少ない量であるものの生産者と農家の緊密で長い関係に基づいて造られたワインは、ネゴシアン・ワインとしては新しいスタイルのもとして、徐々にその評価も上昇中です。

 また、社名を通常の「ペール・エ・フィス(父&息子)」ではなく、「フィス・エ・ペール」としたのは、最初の3年間は父ジャック氏が主体で行い、その後は、「ジェレミー、君が中心になって運営するように」といわれたために、最初からこの「息子&父(フィス・エ・ペール)」の名前にしたということです。

初ヴィンテージの2000年に関して、ジェレミー氏は、
「2000年ヴィンテージはブドウはよく熟したが、ドメーヌでも収穫時に一部カビが発生してしまったので、1999年から始められればもっと簡単に良いものができたかもしれないのですが、結果的には2000年ヴィンテージも高い品質のワインに仕上がったと確信しています。」
と、述べています。

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ドメーヌ・ドヴネィ

2008/06/15(Sun)19:12

ドメーヌ&メゾン・ルロワを指揮するマダム・ラルー・ビーズ・ルロワが夫のマルセル・ビーズ氏と個人で100%所有するドメーヌです。

ドメーヌ・ルロワの設立の同じ年に、夫のマルセル氏と共に、サン・ロマンの高台にあるドメーヌ・ドーブネを購入し、現在もルロワ夫妻はラベルに描かれた館に住んでいます。

カーヴは、サン・ロマン村にありますが、シャンボール・ミュジニィのボンヌ・マール、シャサーニュ・モンラッシェのクリオ・バタール・モンラッシェと言ったグラン・クリュを所有し、そのほかにも、ヴォルネィ・サントノやオーセイ・デュレスに計3.26haの自社畑を所有します。

 その造りは、ドメーヌ・ルロワ同様に、畑はバイオダイナミックで栽培され、化学薬品の不使用は勿論、生態系を熟慮し、最適な必要処置が施されています。

醸造所の絵が描かれたボトルを一蹴するほどの非常に長い特徴あるラベルには、
Mis en Bouteille au Domaine
par Lalou Bize-Leroy S.C.
du Domaine d'Auvenay ,
Meursault ,France
と記載されています。

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