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  <title type="text">ブルゴーニュワインを堪能</title>
  <subtitle type="html">ブルゴーニュワインを堪能していただくためのブルゴーニュワインの知識サイトです</subtitle>
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  <updated>2008-06-22T21:57:10+09:00</updated>
  <author><name>No Name Ninja</name></author>
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    <published>2008-06-23T12:03:29+09:00</published> 
    <updated>2008-06-23T12:03:29+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・ポンソ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ ドメーヌ・ポンソは、1872年に、ウイリアム・ポンソ氏が、モン・リュイザンやクロ・ド・ラ・ロッシュ等の畑と館を購入したことを起源とし、後継者ののいなかった初代ウイリアム氏のあとを従兄弟のイッポリィト・ポンソ氏が1920年より2代目を引き継ぎ、クロ・ド・ラ・ロッシュの畑を買い足し、また、1932年よりドメーヌでの瓶詰を始め、ドメーヌを発展させました。<br />
<br />
イッポリィト氏は、弁護士であり、第一次世界大戦の大尉を務めた人物であり、また、1935から1936年にかけてのブルゴーニュにおけるブドウ畑のAOC格付けを制定したブルゴーニュ委員会の一人でした。<br />
<br />
イッポリィト氏の息子のジャン・マリー・ポンソ氏が1947年より栽培とワイン造りに参画し、父イッポリィト氏が1957年に引退するまでと共に働きました。<br />
3代目のジャン・マリー氏は、長年モレ・サン・ドニ村の村長を務め、シュヴァリエ・ド・タスト・ヴァンの評議委員でもあり、また、1960年代に始まったブルゴーニュのピノ・ノワールのクローン・セレクションの開拓者です。<br />
<br />
最も評判のよい多くのピノ・ノワール（113,114,115,667等）は、ドメーヌ・ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュのブドウ木から選ばれており、その源の母木（元木）は今日もなお植わっています。<br />
<br />
　1981年からは、国立商科大学を卒業し旅行代理店を経営していた息子のローラン・ポンソ氏が帰郷し、家族のドメーヌに加わり、ドメーヌの新しい経営組織を設立し、1983年からワインつくりを担当し、現在、ローラン氏が4代目当主を務めています。<br />
<br />
約11haの畑を所有し、その半分以上の5.7haがグラン・クリュという、その所有する畑の品質は群を抜き、そしてクロ・ド・ラ・ロシュで50年強、クロ・サン・ドニは90年を数え、他の畑も平均で30年以上と、非常に高い樹齢のブドウ木を保有しています。<br />
<br />
更に、加えてグラン・クリュでも18年未満のブドウ樹からの果実はデクラッセ（declasse＝階級脱落）し、プルミエ・クリュとしてリリースするという徹底した選別を実施し、また、収穫量に関してもシャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロシュ等グラン・クリュの上限は通常35hl／haのところ、ドメーヌ・ポンソにおいてはリミットまで目一杯収穫する等ということはありえず、平均で2／3から半分、少ないときには1ケタ台ということもしばしばです。<br />
<br />
更に、酸化防止剤として用いられるSO2は他のドメーヌで使用する量の1／3分から1／5極力抑え、また多くのつくり手がグラン・クリュほど高い割合であてがう新樽もポンソでは一切用いない点も特徴的です。<br />
<br />
ドメーヌ・ポンソのワインは以前から高い評価を得ていましたが、現当主ローラン氏の代になってからSO2の使用を抑え、新樽の使用もなくなり、よりシルキーさを増し、テロワール毎の特徴を如実に体現する艶やかでピノ・ノワールの精髄といった要素が加わり、更に評価も高まっています。<br />
<br />
比較的、赤ワインでその名を知られたドメーヌですが、1種類だけ白「モレ・サン・ドニのプルミエ・クリュ・クロ・デ・モン・リュイザン」を造っており、用いるブドウはほとんどがアリゴテでありながら、一般的なブルゴーニュ・アリゴテ等とは似ても似つかぬ全く別種の白といった風味の、ドメーヌ・ポンソならではのならではの味わいといわれます。<br />
<br />
なお、1999年ヴィンテージから搭載している熱感知シールも、ドメーヌのワインに対する真摯な姿勢を示す取り組みの表れとして受け入れられています。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-21T22:03:06+09:00</published> 
    <updated>2008-06-21T22:03:06+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>フィリップ・パカレ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[フィリップ・パカレ氏は、CH．レイ、ドメーヌ・ルロワで研修を積んだ後、ブルゴ－ニュファンならば知らぬ人のいない、「ドメーヌ・プリューレ・ロック」の醸造長を長年務め、2000年プリューレ・ロックを辞し独立し、2001年ドメーヌ創立し、その初ヴィンテージの2001年が大旋風を巻き起こしました。<br />
<br />
また、彼はモルゴンのみならずボジョレーワインの評価を高めることに大変な貢献をしてきたマルセル・ラピエール氏の甥であり、更に、ラピエールを中心とする「自然派」（アペラシオンを越えたフランス全土における）を形成することとなった基＝師でもあるジュール・ショヴェ氏の最後の弟子で、かつ６年間もの期間を師と寝食を共にした唯一の人物としも知られます。<br />
<br />
ブルゴーニュワインの多くは単一品種で構成され、その味わいを造っているものは、ブドウではなくテロワールなのであるから、これを最も大切にしなくてはいけないし、土壌、ブドウ、天候、そして人間があり、このどれ一つとして欠けてもワイン造りは不可能なのです。<br />
<br />
また、人間はオーケストラでいうところの指揮者であり、ブドウがより良く育つために導いてあげるだけのことで、ワインは工業製品ではないから、技術を駆使して手を加えてしまうと本当のテロワ－ルを表現することはできません。<br />
<br />
有機肥料であっても、ただ加えれば良いとは思わないし、それはブドウ樹の育成期である3～6月を過ぎて熟成期に入っても樹が成長してしまい、その結果として未熟な果実ができてしまうからです。（フィリップ・パカレ氏） <br />
<br />
　5年間の思案の上独立し、2001年が初ヴィンテージとなりますが、ドメーヌ・プリューレ・ロック時代に営農指導していた人達の畑のブドウや、妻の実家の畑から採れたブドウでワインを造りました。<br />
<br />
もちろん全てのブドウは有機栽培され、これらのブドウは、40hl分のお金を支払い30hl分だけしか栽培しない（青刈りしてあるので敢えて収穫とは述べない）契約を栽培家と交わしています。 <br />
<br />
なお、2001年のワインは補糖さえ（もちろん補酸も）しないで造られ、 また、2002年からは畑造りも彼自身が行っています。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-20T19:37:09+09:00</published> 
    <updated>2008-06-20T19:37:09+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・ポチネ・アンポー</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[名門アンポー家のひとつであるドメーヌ・ポチネ・アンポーは、ムルソー村の丘を上った高台に位置し、かつては、ムルソーよりも高い評価を得ていたモンテリ村にたたずんでいます。<br />
<br />
ムルソーを中心に、ヴォルネイ、オーセイ、モンテリ、ピュリニー、ポマールなど6つの村に8haの畑を所有）し、古典的ブルゴーニュを造り続け、1980年代後半以降の技術革新ブームで、ニュースタイル派の後塵を押すかのような 評価を受け続けていました。<br />
<br />
しかし、近年、テロワールを尊重する造り手が古典的醸造スタイルに回帰している事でもわかる通り、 ブルゴーニュのテロワールを存分に発揮し、熟成して真価を発揮する≪クラシック・ブルゴーニュのお手本≫とも言うべきワインを 造り続けているドメーヌです。<br />
<br />
世界的な風潮に流されることのないドメーヌ・ポチネ・アンポーの醸造哲学は、再び古典派にスポットが当たり始めた今でも、 浮かれることも無く、動じることもありません。<br />
<br />
1937年、第二次世界大戦中に15歳から当主を務め、引退まで ≪59ヴィンテージ≫ものを造り続けた、 ブルゴーニュきっての名伯楽ポチネ氏のワインつくりは、非常にエレガントでクラシックな造りで、全て手摘み収穫し、樽はエレガンスのアリエ産のみ用いて、新樽使用は平均30％です。<br />
<br />
2003年より、最新の技術を学びつつも、古典派を志向する20歳の息子ヴァンサン氏がドメーヌに入り、体制は一層盤石と なりました。<br />
<br />
美しい酸を持ちつづけるポチネ・アンポー氏の古酒は、「古えの ブルゴーニュ人やパリの貴族達が味わっていた本物の古酒」と高く評価されています。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-17T17:39:44+09:00</published> 
    <updated>2008-06-17T17:39:44+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>メゾン・デュジャック・フィス・エ・ペール</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[モレ・サン・ドニにあるドメーヌ・デュジャックの創立者であり当主のジャック・セイス氏の長男ジェレミー・セイス氏が、ドメーヌ・デュジャックが運営する生産者と農家との緊密で長い関係に基づいてスタートさせた新しいスタイルのネゴシアンです。<br />
<br />
1975年生まれのジェレミー氏は、イギリスのパブリック・スクールからオックスフォードに進み、卒業後は、父ジャックのドメーヌ・デュジャックに参加しました。<br />
ジャック氏が絶大な信頼を寄せていたスタッフのクリストフ・モランが二輪事故により42歳の若さで不慮の死をむかえたあと、クリストフに代わりジェレミー氏が栽培面を担っています。<br />
<br />
現在は、ドメーヌ・デュジャックの白ワインの担当以外にも、ドメーヌ・デュジャックが1990年からＤＲＣ（ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ）の経営者としても知られるブズロン村のヴィレーヌ氏と共同で手がける南フランスのワイン「トリエンヌ」の醸造・販売をも行っています。<br />
<br />
更に、英国のセンズベリー科学技術大臣がブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村に購入した畑を、ジェレミー・セイス氏が畑仕事と醸造を手がける予定で、2年後には高品質なワインの誕生が話題になっています。<br />
<br />
ネゴシアン・ワインのアイディアは父ジャック氏と共に1998年から計画を進め、2000ヴィンテージが初ヴィンテージとなっています。<br />
<br />
　3軒の栽培農家とは1ha当たり幾らという形で契約し、ヴァンダンジュ・ベルト（徐梗・摘房）やテーブル・ソーティング（選果台での選別）、醸造にいたるまで全て自分たちの手で徹底して行っています。<br />
<br />
生産量としては、シャンボール・ミュジニィで250ケース、モレ・サン・ドニ350ケース、ジュヴレ・シャンベルタンは800ケースと、少ない量であるものの生産者と農家の緊密で長い関係に基づいて造られたワインは、ネゴシアン・ワインとしては新しいスタイルのもとして、徐々にその評価も上昇中です。<br />
<br />
　また、社名を通常の「ペール・エ・フィス（父＆息子）」ではなく、「フィス・エ・ペール」としたのは、最初の３年間は父ジャック氏が主体で行い、その後は、「ジェレミー、君が中心になって運営するように」といわれたために、最初からこの「息子＆父（フィス・エ・ペール）」の名前にしたということです。<br />
<br />
初ヴィンテージの2000年に関して、ジェレミー氏は、<br />
「2000年ヴィンテージはブドウはよく熟したが、ドメーヌでも収穫時に一部カビが発生してしまったので、1999年から始められればもっと簡単に良いものができたかもしれないのですが、結果的には2000年ヴィンテージも高い品質のワインに仕上がったと確信しています。」<br />
と、述べています。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-15T19:12:20+09:00</published> 
    <updated>2008-06-15T19:12:20+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・ドヴネィ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ドメーヌ＆メゾン・ルロワを指揮するマダム・ラルー・ビーズ・ルロワが夫のマルセル・ビーズ氏と個人で100％所有するドメーヌです。<br />
<br />
ドメーヌ・ルロワの設立の同じ年に、夫のマルセル氏と共に、サン・ロマンの高台にあるドメーヌ・ドーブネを購入し、現在もルロワ夫妻はラベルに描かれた館に住んでいます。<br />
<br />
カーヴは、サン・ロマン村にありますが、シャンボール・ミュジニィのボンヌ・マール、シャサーニュ・モンラッシェのクリオ・バタール・モンラッシェと言ったグラン・クリュを所有し、そのほかにも、ヴォルネィ・サントノやオーセイ・デュレスに計3.26haの自社畑を所有します。<br />
<br />
　その造りは、ドメーヌ・ルロワ同様に、畑はバイオダイナミックで栽培され、化学薬品の不使用は勿論、生態系を熟慮し、最適な必要処置が施されています。<br />
<br />
醸造所の絵が描かれたボトルを一蹴するほどの非常に長い特徴あるラベルには、<br />
Mis en Bouteille au Domaine <br />
par Lalou Bize-Leroy S.C. <br />
du Domaine d'Auvenay , <br />
Meursault ,France <br />
と記載されています。<br />
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    <published>2008-06-14T15:34:55+09:00</published> 
    <updated>2008-06-14T15:34:55+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>メゾン・ドミニク・ローラン</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[メゾン・ドミニク・ローランは、かつて洋菓子のパイつくり職人だったドミニク・ローラン氏が、1988年にニュイ・サン・ジョルジュに創立した、ネゴシアン・エルヴールのメゾンです。<br />
<br />
既存のワインに飽き足らず、ブルゴーニュ・ワインの黄金時代を手がけた熟練醸造家たちから伝統的なワインつくりを独自に習得し、弱冠32歳の1988年にネゴシアンとしてスタートし、 翌1989年のヴィンテージよりワインつくりに身を転じました。<br />
<br />
メゾン・ドミニク・ローランは、ブルゴーニュ地域のそれぞれの地区の特徴を的確に表現するワインつくりは、「古き良き時代のワインの再現」と40代半ばで、ブルゴーニュでも５本の指に入る醸造家に昇り詰め、ロバート・パーカー等の世界的に著名なワイン評論家たちより高く評価されています。<br />
<br />
新樽から新樽へ移し替えて熟成を行うことから「200％新樽の男」とあだ名されるローラン氏は、自分のブドウ畑を所有せず、ブドウ栽培者より最良のブドウを購入し、個々の栽培家の元で圧搾され醗酵しワインとなってから、エルヴァージュのために、ニュイにあるローランの３つか４つあるセラーの一つに移されます。<br />
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    <published>2008-06-11T12:00:26+09:00</published> 
    <updated>2008-06-11T12:00:26+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ＆メゾン・ルロワ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[■1868年<br />
ルロワ社はフランソワ・ルロワにより、ムルソー村に近い小さな村のオークセィ・デュレスに創設されます。 <br />
■1880年代末～<br />
その息子、ジョセフ・ルロワがブルゴーニュ地方の中でも最良のワインを選んで育成するネゴシアンの仕事を発展させました。 <br />
■1919年～<br />
ジョセフの息子のアンリ・ルロワが事業に参画し、ブランデーを取り扱う支社やコニャック地方グランド・シャンパーニュ地区の中心部に蒸留所を開設し、さらに発展します。 <br />
■1933年<br />
マルセル（ラルー）・ルロワ（現ビーズ姓)誕生。 <br />
■1942年<br />
アンリは、1942年にドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ（以下DRC）の半分の所有権を取得し、エドモンド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌと共同経営者となり、また、DRCを持分に応じた民事会社として登録するなど情熱的にDRCの改革を実行。 <br />
■1950年<br />
共同経営者であったエドモンド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌが死去し、その息子アンリ・ド・ヴィレーヌが経営権を引き継ぎ、同じ年、一方のオーナーのアンリ・ルロワは自分の二人の娘、ポーリ―ヌとマルセル（ラルーと呼ばれる現在のマダム・ルロワ）に持分を平等に分配し、同年よりラルー・ビーズ・ルロワが事業に参画し、最高の品質のワインを仲買・輸出を営業主体とします。<br />
<br />
また、マダム・ルロワはワイン・テイスター家としての評価を得ており、今もなお、ブルゴーニュ屈指のワイン・テイスターです。 <br />
■1974年<br />
アンリ・ルロワとアンリ・ド・ヴィレーヌはDRCの監査役となり、それぞれの子供たち、ラルー・ビーズ・ルロワとオーベール・ド・ヴィレーヌが役員に就任し、DRCの1971年ヴィンテージ以降（収穫から3年目に出荷されるため）のラベルには、ラルー・ビーズ・ルロワとオーベール・ド・ヴィレーヌの二人のサインが共同経営者として記されています。<br />
<br />
また、この年に、DRC社よりルロワ社のイギリスとアメリカを除く全世界への販売代理権が正式に承認されました。<br />
<br />
同、1974年には、ルロワ社と日本の高島屋商事において日本における代理店契約が調印されています。 <br />
■1980年<br />
アンリ・ルロワが死去し、ルロワ社の事業をラルー・ビーズ・ルロワ女史がすべて引き継ぎ、1988年より日本の企業の「フランス高島屋」がルロワ社に資本参加。<br />
なお、この資本参加は、1990年にフランス政府大蔵省より正式な投資許可が降りました。 <br />
■1988年<br />
この資本を元に1988年7月26日にヴォーヌ・ロマネ村の特級畑を所有するドメーヌ・シャルル・ノエラを買収し、ドメーヌ・ルロワと改名し、ここにドメーヌ・ルロワが誕生しました。<br />
この年、ラルー・ビーズ・ルロワ女史は、夫のマルセル・ビーズ氏と供に、サン・ロマン村のドメーヌ・ドーヴネィを買取り、100％ルロワ夫妻によるプライベート・ドメーヌとしてスタートします。 <br />
マダム・ルロワは続いて、ジュヴレ・シャンベルタン村のドメーヌ・レミィを手中し納め、ジュヴレ・シャンベルタンからポマールまでの各地に22.42haの自社畑を所有する大ドメーヌに成長しています。<br />
<br />
ドメーヌ・ルロワでは、マダム・ルロワが自ら総指揮をとり、ブドウ栽培は全てバイオダイナミック農法がとられており、テロワール（気候や土壌）の可能性を最大限に生かし、また、グラン・クリュは勿論、プルミエ・クリュ、村名格のワインまで全て新樽100％で熟成させ、その上、1haあたりの収量を超低量の25hl（通常は45hl）と徹底して行われています。<br />
<br />
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのワインは別にしても、ドメーヌ・ルロワのワインはブルゴーニュで最も高価で類稀な素晴らしい品質のワインとして君臨しています。 <br />
■1991年<br />
DRC社との間で、ルロワ社のDRC商品の販売経路に関してトラブルが生じ、1992年1月1日以降、ルロワ社のDRC商品の取り扱いはなくなりました。<br />
<br />
同時に、マダム・ルロワはDRCの共同経営者を辞任し、現在は、甥であるドメーヌ・プリュレ・ロックノオーナーであるアンリ・フレデリック・ロック氏が引き継いでいます。 <br />
<br />
<br />
　ルロワ社のワインは、「真の通のためのワイン」とさえ言われており、新鮮なフルーツ香、しっかりとしたタンニンと酸味がバックボーンにあり、熟成の過程で新鮮さや果実の香りを保つ神秘的な技術を持っているようで、熟成されたワインが期待を裏切ることは決してありません。<br />
<br />
また、ルロワ社は、熟成されたブルゴーニュ・ワインの販売用としては最大のコレクションを持っていることでも有名です。<br />
<br />
ブドウ醸造学者のジャック・ピュイセ氏は、次のように語り、<br />
「我々は、ルーブル美術館にいる。ブドウの木とそれが語りかける言葉に包まれる文化的な瞬間である。」 <br />
<br />
また、「ワインの香り」の著者である、ワイン鑑定家のジャン・ルノワール氏は、「国会図書館にも比すべきワイン・コレクション。」 と賛辞を贈っています。　<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-09T23:19:03+09:00</published> 
    <updated>2008-06-09T23:19:03+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・デュジャック</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[数百年に渡り先祖代々ブドウ栽培・ワイン造りを行っているドメーヌがほとんどのブルゴーニュ地方にあって、一代でしかも僅か数十年で世界的名声を築き上げ、モレ・サン・ドゥニで最も著名な造り手が、ブルゴーニュのワイン生産者としてはおよそ型破りな経歴の持ち主であるドメーヌ・デュジャックの当主ジャック・セイス<br />
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1941年パリに生まれ、イギリスとアメリカで教育を受けた後、銀行で研鑚を積み、父から譲り受けたパリの製菓会社ベランを経営していました。<br />
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しかし、ワインに魅せられ、ボーヌの醸造学校で醸造学を修め、ヴォルネィのドメーヌ・ド・ラ・プス・ドールで2年間ワイン造りを修業した後に、会社をナビスコに売却し、代わりにモレ・サン・ドゥニのドメーヌ・グライエを1968年に買収しワイン造りの生活に入ります。<br />
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　著名な食通の父に連れられ子供の頃から、ドュメーヌ（ポワンと並び1950年代から1960年代のフランスを代表するシェフ）、マキシムやトゥール・ダルジャンの料理に親しみ、なんとDRCの1934・1938・1945年を飲んでいたと言います。<br />
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また、父親のビジネスを継ぐかわりに、好きになったワインの道を歩むとき、資金面でも販売面においても援助したのもこの美食家の父親でした。<br />
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　当初、4.5haのブドウ畑は、1960年代後半～1970年代前半にかけてジュヴレ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネのブドウ畑を買い足し、現在では11.33haを所有しています。<br />
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モレ・サン・ドゥニ村のクロ・ド・ラ・ロシュ、クロ・サン・ドゥニ、シャンボール・ミュジニィ村のボンヌ・マール、ジュヴレ・シャンベルタン村のシャルム・シャンベルタン、フラジェ・エシェゾー村のエシェゾーなど5つのグラン・クリュを所有するほどになりました。<br />
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　しかし今もって、彼のワイン造りの基本はドメーヌ設立当初のままであり、また、1960年代後半にあっては、非常に急進的な濾過・清澄処理を行わず、補糖も出来る限り行わないという「無干渉主義」とも「自然の摂理のまま」とも表現される理念を貫き、国外の買い付け人の間で礼参者を得ています。<br />
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また、ジャック・セイスはディジョン大学でエノロジストの資格を取得しており、クローンの支持など現代化を心がけていながら、なおかつ、今日では非常に珍しく全く除梗を行わないなどの多くの伝統的手法を大切に受け継いでいます。<br />
<br />
プリュレ・ロック（D.R.C.の共同経営者）やD.R.C.のスタイルにも通じるクラシカルなブルゴーニュワインを造り続けることにおいて、セイスの右に出るものはいないとさえ言われています。<br />
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デュジャックのワイン造りは、ビオディナミ（農薬や化学肥料を使用しない自然農法）を用いて、自然な低温発酵と澱引きのみで、フィルターも用いないことで、ブドウの持つ本来の可能性を最大限引き出しています。<br />
<br />
色も薄く決して濃厚とはいえない味わいですが、低温による独特の醸造ゆえに、タンニンが滑らかで、早くからも美味しく飲め、また、バランスのよさゆえに、長期熟成も楽しみな、柔らかさと力強さを併せ持つ長命なワインとなっています。<br />
<br />
しかもどのワインもそのアペラシオンにふさわしい立派な個性を備えたワインを生産し、その全生産量の90％が輸出され、世界中にそのファンは広がっています。<br />
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また、ブルゴーニュの若い世代、代替わりを目前に控えた若者たちの尊敬を集め、今もなお、彼らはセイスの掲げた理想と知的な厳しさを慕っていると言われます。<br />
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1987年以来、ドメーヌ・デュジャックのあらゆる仕事、特に栽培に関しては全てを担い、家族の一員であったクリストフ・モランが弱冠42歳の若さで不幸な二輪車事故により失いましたが、大きな悲しみの中、セイスの長男、ジェレミー氏（デュジャック・フィス＆ペール当主）がクリストフ・モランの栽培の仕事を引き継いでいます。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <id>burutano.blog.shinobi.jp://entry/3</id>
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    <published>2008-06-08T13:17:33+09:00</published> 
    <updated>2008-06-08T13:17:33+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・ラモネ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ドメーヌ・ラモネは、中世からその名を歴史に残す古い集落シャサーニュ・モンラッシェ村の南端にピエール・ラモネ氏（1994年88歳で死去）によって、1920年代前半に創設されたドメーヌです。<br />
<br />
ドメーヌ・ラモネは、ブルゴーニュでも最も古い部類のドメーヌに入りますが、、ドメーヌ設立の1920年代から元詰を実現しており、この事が1930年代にアメリカに紹介され、世界最高の白ワイン生産者の一人として今日の名声を獲得するきっかけとなり、シャサーニュ・モンラッシェ村においておそらく最も尊敬されるべき生産者です。<br />
<br />
畏敬の念を持って「ペール・ラモネ（ラモネのじいさん）」と呼ばれる初代のピエール・ラモネ氏は、は1994年に他界するまでカーヴに立ち続けた伝説の人物で、そのワイン造りは２代目のアンドレ・ラモネ氏の代にさらなる発展をとげ、ブゴーニュでももっとも偉大な天才のドメーヌとしてその名を馳せました。<br />
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　ドメーヌ・ラモネは、中世からその名を歴史に残す古い集落シャサーニュ・モンラッシェ村の南端にピエール・ラモネ氏（1994年88歳で死去）によって、1920年代前半に創設されたドメーヌです。<br />
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ドメーヌ・ラモネは、ブルゴーニュでも最も古い部類のドメーヌに入りますが、、ドメーヌ設立の1920年代から元詰を実現しており、この事が1930年代にアメリカに紹介され、世界最高の白ワイン生産者の一人として今日の名声を獲得するきっかけとなり、シャサーニュ・モンラッシェ村においておそらく最も尊敬されるべき生産者です。<br />
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畏敬の念を持って「ペール・ラモネ（ラモネのじいさん）」と呼ばれる初代のピエール・ラモネ氏は、は1994年に他界するまでカーヴに立ち続けた伝説の人物で、そのワイン造りは２代目のアンドレ・ラモネ氏の代にさらなる発展をとげ、ブゴーニュでももっとも偉大な天才のドメーヌとしてその名を馳せました。<br />
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出来高制の農業従事者だったピエール氏は、まず最初にシャサーニュ１級レ・リュショットを1.5ha購入し、以後も畑は購入し続け、現在白10ha、赤7haの合計17ha、シャサーニュ・モンラッシェ村とその北隣の村ピュリニー・モンラッシェ村に23のアペラシオンを所有し、その所有面積の7割をグラン・クリュとプルミエ・クリュが占めます。<br />
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現在は、1968年生まれの若き３代目当主ノエルと弟のジャン・クロードの兄弟が父である２代目のアンドレ・ラモネの後を継ぎ、力を合わせてドメーヌ・ラモネの名声を維持しています。<br />
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1984年に義務教育を終了するとすぐに家業に加わったノエルは、ワイン造りの全てを祖父と父に実地で学び、醸造法は伝統に忠実な反面、「今でも何かを学んでいる毎日」と言い、機械類やワイナリーは新しくて清潔さを保ち、1996年に19歳で新たにメンバーに加わった弟のジャン・クロードは主にビューロー（オフィス）での仕事を担当しています。<br />
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伝統的な方法を用いて、主に、兄のノエルが中心になりワイン造りを行っています。<br />
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剪定など畑の仕事と最終ブレンドなどの際には弟のジャン・クロードも現場に出て、兄弟二人は今日も偉大なワイン造りに励んでいます<br />
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今日も、ノエル・ラモネは、よいワインを造るために樹齢１８年以下のブドウ樹からの果実は除外し、ブドウの収穫量を厳しく制限し、樹齢の高い（35年以上）ブドウの樹を大切にエネルギッシュに育てています。<br />
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            <name>No Name Ninja</name>
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    <published>2008-06-07T18:31:12+09:00</published> 
    <updated>2008-06-07T18:31:12+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>ドメーヌ・アルマン・ルソー</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ドメーヌ・アルマン・ルソーは、相続によりジュヴレ ・シャンベルタンのいくつかの区画のブドウ畑のほと んどを取得したアルマン・ルソー氏によって、20世紀初 頭に始められました。<br />
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アルマン・ルソーの家系は、主にブドウの木の栽培や 樽の製造、地元のワイン商も兼ねていた小さな地主で した。 <br />
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1909年、彼は結婚し、持参金としてブドウ畑を得ます。<br />
同時に村で一番古く、第13センチュリー教会のそばに ある住居、貯蔵室、セラーや醸造設備と一緒にドメー ヌの土地と家屋をも手に入れました。　<br />
<br />
　初めにアルマン・ルソーは、地元の卸業者にワインを売ることで、すぐ に、新しいブドウ畑、例えば1919年のシャルム・シャンベルタン、1920 年と1921年のクロ・ド・ラ・ロッシュとシャンベルタンを買い足します。<br />
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そ して1番名の知れたワインを自分で瓶詰することに決め、また、彼のとても大事な友人で「Revue des Vins de France」の創業者 であるレイモンド・ボードインの助言を受け、直接消費者やレストラン や評論家へ特別に売ることにし、実行に移したのです。<br />
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こうして、何年もかけて、アルマン・ルソーは、1935年AOCが制定された時に格付けされたより多くのグラン・クリュを、1937年にマジ・シャンベルタン、1940年マゾワイエール・シャンベルタン（今日、シャンベルタンのアペラシオンの下にあります）を、そして1943年と1956年にシャンベルタンを購入しドメーヌを拡張し続けたのです。<br />
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また、ディジョン大学で法律とそれからワイン醸造学を勉強し、1945年から父親とともにドメーヌで働いていたシャルル・（現オーナー）という名の彼の息子が、1954年にクロ・サン・ジャックを手に入れます。<br />
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1959年、狩猟から帰る途中、アルマン・ルソーが自動車事故で亡くなった後、その息子シャルル・ルソーが、新しく買い入れたブドウ畑、特に「グラン・クリュ」の地域において、醸造学の大いなる知識や経験で以って急速に発展し続ける可能性の大きい6haのドメーヌのオーナーになり、流暢な英語とドイツ語を話す彼は、1930年代の終わりの禁酒法の後、既に父アルマン・ルソーが合法的にワインを売っていたアメリカへの輸出を主とする方向に転換します。<br />
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最初にイギリス、ドイツ、スイス、その後ヨーロッパ諸国、それからカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジルなどに、最後に1970年代にアジアへ輸出をはじめます。<br />
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伝統的な方法でブドウ栽培と醸造を行いながら、シャルル・ルソー氏は、より近代的でよく整えられた設備を増やしていきます。<br />
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　1980年代の初めには、２つの地下貯蔵室が新しく手に入れたブドウ畑のために掘られ、同時期に、マコン・ダヴァエの農業醸造学校で学んだ後、ディジョン大学で醸造学を1年間専門に研究した息子のエリック・ルソー氏が、ブドウ畑と醸造をシャルルとともに担当するようになります。<br />
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また、シャルルの上の娘コリンヌも、長年、外国への輸出に関する専門的な経験とを積んだ後、1993年にフランスに戻り、同じ年に醸造学の修了証書を手にいれ、彼女もまた得意先との取引を任されます。<br />
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1996年の夏に醸造設備の拡大増築を行い、また、1999年と2001年に、2つの新しい設備が取り付けられ、今日、ドメーヌは13.70haのブドウ畑を所有しており、村名格で13.70ha、1級畑が3.47ha、特級畑を8.01haになり、これらは全てジュヴレ・シャンベルタンとモレ・サン・ドゥニのコミューンに属し、現在、年間平均65,000本生産しています。<br />
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